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2017年8月

「エリーゼのために」のエリーゼがテレーゼでない理由

それにしても「エリーゼのために」という曲は、とても人気がありますね。うちの女房の生徒さんでも、子供にも大人にも、この曲を弾きたがる人はたくさんいらっしゃいます(それで別稿のような本が生まれた訳ですが)。

ネットにもたくさんの情報があふれています。

そんな中で目に付くのは、

「エリーゼ (Elise)」というのは「テレーゼ(Threse)・マルファッティ」という人のことで、ベートーヴェンの筆跡が読みにくかったために「エリーゼ」として広まったのだ

という説です。

1923年にウンガー(Max Unger)という学者が発表したもので、日本語のWikipediaなどでもこの説が「有力視されている」と書かれているのですが、この曲が世に出るまでの経緯を確認してみると、この説は絶対にありえません。「エリーゼ」は「テレーゼ」の読み間違いではなく、「エリーゼ」という人がいたはずなのです。

近年の研究で、当時ベートーヴェンのまわりに「エリーゼ」と呼ばれた女性が確かにいた、ということが判明しました。にもかかわらず、我が国では未だに「テレーゼ説」がはびこっています。そこで「なぜテレーゼではあり得ないか」をご説明しておきたいと思います。

「エリーゼのために」という曲は、1808年にスケッチが作られ、1810年に作曲されました。スケッチは今ボンのベートーヴェン・アルヒーフにありますが(ネットで見ることもできます)、残念ながら完成稿の方は、今では行方不明になっています。この曲は、いったん完成したものの、出版されることも公に演奏されることもなく、その後半世紀あまり、世に知られぬまま埋もれていました(注)。

この完成稿を発見し、世に出したのが、ノール(Ludwig Nohl)というベートーヴェン研究者でした。1867年に出版した「新しいベートーヴェンの書簡集 Neue Briefe Beethovens」(1867)という本の中で、初めてこの曲を出版したのです。初版の最初のページは英語版やドイツ語版のWikipediaで確認できますが、ここにも貼っておきます(クリックすると拡大します)。

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最初の33というのは書簡集の中の番号で、曲のタイトルは付いていません(目次には「イ短調のピアノ曲」とあります)。楽譜の下に詳細な注が付いています。

この未知の遺作は、重要でとても素敵なピアノ小品で、テレーゼ・フォン・ドロスディック夫人(旧姓マルファッティ)の遺品としてミュンヘンのブレドル嬢に贈られたものの中からたまたま見つかったものである。だが、これはテレーゼのために書かれたものではなく、ベートーヴェンの筆跡で『エリーゼのために、4月27 日、記念として、L. v. ベートーヴェン』という上書きが記されている。――エリーゼが誰のことかは、[テレーゼの妹である]グライヒェンシュタイン男爵夫人も覚えていなかった。しかしこれもまた、美しい茶色の巻き髪を持つテレーゼと大作曲家との素敵な関係を示すものとして、ここに掲載する。

ノールはこの2年前に最初のベートーヴェン書簡集を出しており、そこに収められなかった手紙を調査しているときに「エリーゼ」の楽譜を発見し、2冊目の書簡集の中で出版しました。最初の書簡集には400篇、新しいものには322篇の書簡が収められています。700以上のベートーヴェンの自筆の手紙を読み解き、書簡集を出版した人が、EliseとThereseを読み間違えるなんてことがあるでしょうか。私はありえないと思います。

注釈にあったように、ノールは「エリーゼ」の楽譜をテレーゼ・マルファッティの遺品の中から見つけました。もし楽譜に書いてある名前が読みにくければ、まず「テレーゼ」ではないかと疑うのが当然でしょう。二人の「素敵な関係」にまで言及しているのですから。でもノールはそれをせず、テレーゼの遺族に「エリーゼという人を知らないか」と訊ねたうえで、「分からない」という結論に達したのです。

ノールは疑問の余地なく「エリーゼ」と読んでいた。テレーゼの妹も、エリーゼについてもその曲についても知らなかった。もしそれがテレーゼに捧げられたものなら、妹は当然知っていた(覚えていた)のではないでしょうか。

どう考えてもテレーゼのはずがないのに、この曲が世に出てから半世紀以上を経てウンガーが言い始めた「テレーゼ説」がその後いろんな解説などで言及され続けてきたのは、それ以外の説が出てこなかったからです。テレーゼ説が有力だったからではなく、この曲が世に出た事情をあまりよく知らない人たちが孫引きを重ねた結果、「テレーゼ説」は広まってしまったのです。

そこに2010年、コーピッツ(Klaus Martin Kopitz)という人が、「エリーゼと呼ばれた女性が確かに当時ベートーヴェンの周辺にいた」ということをはじめて明らかにしました。当時17才で、後に作曲家フンメルの奥さんになるソプラノ歌手エリーザベト・レッケル(Elisabeth Röckel)。エリーゼはエリーザベトの略称です。ベートーヴェンは彼女のお兄さんと1806年頃からの知り合いで、彼女とも1810年頃まで交流があったことが分かっています。「エリーゼのために」のスケッチから作曲までの期間は、この時期とぴったりあてはまります。

一方、テレーゼとベートーヴェンは、この曲のスケッチが書かれた1808年の時点では、まだ知り合っていません。もし「エリーゼ」がテレーゼのことなら、ベートーヴェンはテレーゼと知り合う前に着手していた曲を仕上げて彼女に贈ったことになります。一方、「エリーゼ」がエリーザベト・フォン・レッケルのことなら、ベートーヴェンは最初からエリーザベトを想定して曲を思いつき、完成させて、彼女に贈ったと考えられます。どちらが自然でしょうか。

エリーザベトElisabethとテレーゼTherese、綴りを考えても、エリーゼEliseに近いのはエリーザベトの方でしょう。

私はこのエリーザベト・レッケル説がかなり有力だと思うのですが、実はその後も、テレーゼの向かいの家に住んでいたピアニストのジュリアーネ・カタリーネ・エリーザベト・バーレンスフェルト(Juliane Katharine Elisabet Barensfeld)だ、という説や、テレーゼの甥の妻であるエリーゼ・シャハナー(Elise Schachner)だ、という説も現れています(いずれもドイツ語版のWikipediaには紹介されています)。

こうした流れの中で、今も「テレーゼ説が有力だ」という文章が散見されるのは、おかしな話です。私は発見者ノールの、ベートーヴェン研究者としての能力を信頼しています。

「エリーゼ」がテレーゼの読み間違いだということは、絶対にありません、「エリーゼ」はたしかにエリーゼ(エリーザベト)に違いないのです。


注:完成後しばらく経ってから、ベートーヴェンはこの曲に手を加えようと試みており、それはボンにあるスケッチに赤鉛筆の書き込みとして確認できます。スケッチに手を入れたということは、改訂を試みる段階で完成稿はもうベートーヴェンの手を離れていたのでしょう。ちなみにこの赤鉛筆による改訂の試みを復元した版もバリー・ブルックによって出版されています。

吉成智子「『エリーゼのために』を弾いてみませんか?」

もうひとつ、吉成智子の仕事をご紹介しておきます。
大人のためのピアノ入門書、

「エリーゼのために」を弾いてみませんか?

です。

まったくピアノが弾けない人でも、(楽譜が読めなくても)必ず「エリーゼのために」が弾けるようになるよう、まず楽譜の読み方から丁寧に説明しています。「最初の部分だけ」とか「簡単な編曲で」とかいったやり方ではありません。原曲のまま正攻法で、全体をきちんと弾けるようになります。基礎的なところから身につけていくので、この本が終わったら、「エリーゼ」以外の曲にも自力でチャレンジできるようになっているでしょう。

出版社はパブリック・ブレイン
興味のある方はご覧ください。
Elise

 

吉成智子「奏楽を伴う来迎の思想」

奈良国立博物館で行われている「1000年忌特別展 源信 地獄極楽への扉」を見てきました。「往生要集」の普及に伴って描かれたさまざまな絵画が展示されており、その中に「阿弥陀聖衆来迎図」と呼ばれるものもいくつもありました。
実は家人が昔、これらの来迎図に描かれた奏楽場面について、それが描かれるようになった経緯を調べて論文を書いており、それもあって今回奈良を訪れました。
来迎思想、つまり人が死ぬときに極楽から阿弥陀如来をはじめとする菩薩たちがお迎えに来てくれる、という考え方は、「観無量寿経」という経典に由来するものですが、「お迎えの菩薩たちが楽器を持ち、音楽を奏でている」という考え方は、源信に始まる日本独自のものです。ただ、源信はその音楽の内容(楽器の種類や人数)についてはとくに規定していません。しかしその思想の普及とともに来迎の様子を描いたたくさんの「来迎図」が描かれ、その中で、しだいに楽器の種類や菩薩の数が変化し、固定化していくのです。吉成智子の論文は、その変化のプロセスと、その理由を、たくさんの来迎図を調査して描き出しました。


もう40年近く前に音大の音楽研究所年報に発表されたものですが、今回の展示の解説などを見ながら、あの論文をもう少しアクセスしやすい状態にしても良いだろうと思い、ネットで公開することにしました。CiNiiなどで論文のタイトルを拾うことはできるのですが、論文自体にアクセスするのは難しいからです。
ご関心のあるみなさまのお目にとまれば幸いです。

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