「エリーゼのために」のエリーゼがテレーゼでない理由

それにしても「エリーゼのために」という曲は、とても人気がありますね。うちの女房の生徒さんでも、子供にも大人にも、この曲を弾きたがる人はたくさんいらっしゃいます(それで別稿のような本が生まれた訳ですが)。

ネットにもたくさんの情報があふれています。

そんな中で目に付くのは、

「エリーゼ (Elise)」というのは「テレーゼ(Threse)・マルファッティ」という人のことで、ベートーヴェンの筆跡が読みにくかったために「エリーゼ」として広まったのだ

という説です。

1923年にウンガー(Max Unger)という学者が発表したもので、日本語のWikipediaなどでもこの説が「有力視されている」と書かれているのですが、この曲が世に出るまでの経緯を確認してみると、この説は絶対にありえません。「エリーゼ」は「テレーゼ」の読み間違いではなく、「エリーゼ」という人がいたはずなのです。

近年の研究で、当時ベートーヴェンのまわりに「エリーゼ」と呼ばれた女性が確かにいた、ということが判明しました。にもかかわらず、我が国では未だに「テレーゼ説」がはびこっています。そこで「なぜテレーゼではあり得ないか」をご説明しておきたいと思います。

「エリーゼのために」という曲は、1808年にスケッチが作られ、1810年に作曲されました。スケッチは今ボンのベートーヴェン・アルヒーフにありますが(ネットで見ることもできます)、残念ながら完成稿の方は、今では行方不明になっています。この曲は、いったん完成したものの、出版されることも公に演奏されることもなく、その後半世紀あまり、世に知られぬまま埋もれていました(注)。

この完成稿を発見し、世に出したのが、ノール(Ludwig Nohl)というベートーヴェン研究者でした。1867年に出版した「新しいベートーヴェンの書簡集 Neue Briefe Beethovens」(1867)という本の中で、初めてこの曲を出版したのです。初版の最初のページは英語版やドイツ語版のWikipediaで確認できますが、ここにも貼っておきます(クリックすると拡大します)。

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最初の33というのは書簡集の中の番号で、曲のタイトルは付いていません(目次には「イ短調のピアノ曲」とあります)。楽譜の下に詳細な注が付いています。

この未知の遺作は、重要でとても素敵なピアノ小品で、テレーゼ・フォン・ドロスディック夫人(旧姓マルファッティ)の遺品としてミュンヘンのブレドル嬢に贈られたものの中からたまたま見つかったものである。だが、これはテレーゼのために書かれたものではなく、ベートーヴェンの筆跡で『エリーゼのために、4月27 日、記念として、L. v. ベートーヴェン』という上書きが記されている。――エリーゼが誰のことかは、[テレーゼの妹である]グライヒェンシュタイン男爵夫人も覚えていなかった。しかしこれもまた、美しい茶色の巻き髪を持つテレーゼと大作曲家との素敵な関係を示すものとして、ここに掲載する。

ノールはこの2年前に最初のベートーヴェン書簡集を出しており、そこに収められなかった手紙を調査しているときに「エリーゼ」の楽譜を発見し、2冊目の書簡集の中で出版しました。最初の書簡集には400篇、新しいものには322篇の書簡が収められています。700以上のベートーヴェンの自筆の手紙を読み解き、書簡集を出版した人が、EliseとThereseを読み間違えるなんてことがあるでしょうか。私はありえないと思います。

注釈にあったように、ノールは「エリーゼ」の楽譜をテレーゼ・マルファッティの遺品の中から見つけました。もし楽譜に書いてある名前が読みにくければ、まず「テレーゼ」ではないかと疑うのが当然でしょう。二人の「素敵な関係」にまで言及しているのですから。でもノールはそれをせず、テレーゼの遺族に「エリーゼという人を知らないか」と訊ねたうえで、「分からない」という結論に達したのです。

ノールは疑問の余地なく「エリーゼ」と読んでいた。テレーゼの妹も、エリーゼについてもその曲についても知らなかった。もしそれがテレーゼに捧げられたものなら、妹は当然知っていた(覚えていた)のではないでしょうか。

どう考えてもテレーゼのはずがないのに、この曲が世に出てから半世紀以上を経てウンガーが言い始めた「テレーゼ説」がその後いろんな解説などで言及され続けてきたのは、それ以外の説が出てこなかったからです。テレーゼ説が有力だったからではなく、この曲が世に出た事情をあまりよく知らない人たちが孫引きを重ねた結果、「テレーゼ説」は広まってしまったのです。

そこに2010年、コーピッツ(Klaus Martin Kopitz)という人が、「エリーゼと呼ばれた女性が確かに当時ベートーヴェンの周辺にいた」ということをはじめて明らかにしました。当時17才で、後に作曲家フンメルの奥さんになるソプラノ歌手エリーザベト・レッケル(Elisabeth Röckel)。エリーゼはエリーザベトの略称です。ベートーヴェンは彼女のお兄さんと1806年頃からの知り合いで、彼女とも1810年頃まで交流があったことが分かっています。「エリーゼのために」のスケッチから作曲までの期間は、この時期とぴったりあてはまります。

一方、テレーゼとベートーヴェンは、この曲のスケッチが書かれた1808年の時点では、まだ知り合っていません。もし「エリーゼ」がテレーゼのことなら、ベートーヴェンはテレーゼと知り合う前に着手していた曲を仕上げて彼女に贈ったことになります。一方、「エリーゼ」がエリーザベト・フォン・レッケルのことなら、ベートーヴェンは最初からエリーザベトを想定して曲を思いつき、完成させて、彼女に贈ったと考えられます。どちらが自然でしょうか。

エリーザベトElisabethとテレーゼTherese、綴りを考えても、エリーゼEliseに近いのはエリーザベトの方でしょう。

私はこのエリーザベト・レッケル説がかなり有力だと思うのですが、実はその後も、テレーゼの向かいの家に住んでいたピアニストのジュリアーネ・カタリーネ・エリーザベト・バーレンスフェルト(Juliane Katharine Elisabet Barensfeld)だ、という説や、テレーゼの甥の妻であるエリーゼ・シャハナー(Elise Schachner)だ、という説も現れています(いずれもドイツ語版のWikipediaには紹介されています)。

こうした流れの中で、今も「テレーゼ説が有力だ」という文章が散見されるのは、おかしな話です。私は発見者ノールの、ベートーヴェン研究者としての能力を信頼しています。

「エリーゼ」がテレーゼの読み間違いだということは、絶対にありません、「エリーゼ」はたしかにエリーゼ(エリーザベト)に違いないのです。


注:完成後しばらく経ってから、ベートーヴェンはこの曲に手を加えようと試みており、それはボンにあるスケッチに赤鉛筆の書き込みとして確認できます。スケッチに手を入れたということは、改訂を試みる段階で完成稿はもうベートーヴェンの手を離れていたのでしょう。ちなみにこの赤鉛筆による改訂の試みを復元した版もバリー・ブルックによって出版されています。

吉成智子「『エリーゼのために』を弾いてみませんか?」

もうひとつ、吉成智子の仕事をご紹介しておきます。
大人のためのピアノ入門書、

「エリーゼのために」を弾いてみませんか?

です。

まったくピアノが弾けない人でも、(楽譜が読めなくても)必ず「エリーゼのために」が弾けるようになるよう、まず楽譜の読み方から丁寧に説明しています。「最初の部分だけ」とか「簡単な編曲で」とかいったやり方ではありません。原曲のまま正攻法で、全体をきちんと弾けるようになります。基礎的なところから身につけていくので、この本が終わったら、「エリーゼ」以外の曲にも自力でチャレンジできるようになっているでしょう。

出版社はパブリック・ブレイン
興味のある方はご覧ください。
Elise

 

吉成智子「奏楽を伴う来迎の思想」

奈良国立博物館で行われている「1000年忌特別展 源信 地獄極楽への扉」を見てきました。「往生要集」の普及に伴って描かれたさまざまな絵画が展示されており、その中に「阿弥陀聖衆来迎図」と呼ばれるものもいくつもありました。
実は家人が昔、これらの来迎図に描かれた奏楽場面について、それが描かれるようになった経緯を調べて論文を書いており、それもあって今回奈良を訪れました。
来迎思想、つまり人が死ぬときに極楽から阿弥陀如来をはじめとする菩薩たちがお迎えに来てくれる、という考え方は、「観無量寿経」という経典に由来するものですが、「お迎えの菩薩たちが楽器を持ち、音楽を奏でている」という考え方は、源信に始まる日本独自のものです。ただ、源信はその音楽の内容(楽器の種類や人数)についてはとくに規定していません。しかしその思想の普及とともに来迎の様子を描いたたくさんの「来迎図」が描かれ、その中で、しだいに楽器の種類や菩薩の数が変化し、固定化していくのです。吉成智子の論文は、その変化のプロセスと、その理由を、たくさんの来迎図を調査して描き出しました。


もう40年近く前に音大の音楽研究所年報に発表されたものですが、今回の展示の解説などを見ながら、あの論文をもう少しアクセスしやすい状態にしても良いだろうと思い、ネットで公開することにしました。CiNiiなどで論文のタイトルを拾うことはできるのですが、論文自体にアクセスするのは難しいからです。
ご関心のあるみなさまのお目にとまれば幸いです。

musiquestサイトの引っ越し

niftyのサーヴィス変更に伴い、このブログの親サイトに当たるmusiquestのURLが変更になりました。

新しいURLは
http://musiquest.la.coocan.jp/
です。

長らく更新が滞っていますが、ページによっては今でもそれなりに役立てていただいているようですので、新しい住所で保存することにしました。

(以前の"http://homepage3.nifty.com/jy/"ではエラーになってしまいます。)

よろしくお願い申し上げます。

「《ラプソディー・イン・ブルー》の真実」無事終了

国立音楽大学音楽研究所ガーシュイン・プロジェクトのイベント、「《ラプソディー・イン・ブルー》の真実」が無事終了しました。

正直、大ホールにお客様が十数人、という光景も、かなりリアルな可能性として思い描いていたのですが、ふたを開けてみたらとても多くのお客様に来ていただけました。受付をして下さった方のお話では、400人くらいはいらしたそうです。前半でお話をさせていただきましたが、とても反応が暖かく、嬉しい思いをしました。本当にありがとうございました。

何といっても、演奏が素晴らしかったです。
ラプソディー・イン・ブルーでソロを弾いて下さったピアノの三木香代先生。格好いい。知的で、音楽的で、一音ごと、一フレーズごとにワクワクしました。楽譜をお送りできたのが1ヶ月前、その後もぎりぎりまで音の変更があってり、「ここはお任せします」という部分があったり、という中で、いろいろご無理をお願いしたにもかかわらず、これだけ完成度の高い演奏をしていただけたことは、驚異的です。本当に有り難かったです。

オーケストラの皆さんも、すごいです。企画したとき、作曲の栗山和樹先生が「せっかくだからドリームオーケストラを作りましょう」とおっしゃって、クラシックとジャズの第一線で活躍されている方々に声をかけて下さいました。本当に夢のようなオーケストラでした。技術や音楽性は言うにおよばず、リードの宮崎真一さんは1910年生のメタルクラリネットなど当時の楽器をずらりと並べて下さるし、ベースの松永敦さんはスーザフォンを持ってきて下さるし、楽器の面でもガーシュインの時代、初演者ホワイトマンの楽団に近づけることができました。最初のリハーサルでは、まだ楽譜に間違いがあったりしたこともあって、響きが硬い印象はあったのですが、ほんの2日のうちに見る見る響きが練れていったのは本当に見事でした。もちろん、指揮の工藤俊幸先生のお力も大きいのです。本番当日は、全く新鮮な魅力にあふれた、これまで聞いたことのないガーシュインのサウンドを皆さまにお届けすることができました。ひたすら感謝です。

自筆譜の解読と研究、楽譜作成、ご案内の配布、演奏会の準備と本番のお手伝い、そして演奏までこなしてくれた研究所スタッフの皆さんにも、心から感謝してます。ありがとう。

終演後、たくさんの方々からお褒めの言葉をいただきました。来年もやらなきゃ、という責任感みたいなのが湧いてきました。

来年はたぶん1月に、「シンフォニック・ジャズの広がり」と題して、もう少し大きな編成のオーケストラで演奏会をやろうと思っています。どうかご期待ください。

 

レクチャー&コンサート 《ラプソディー・イン・ブルー》の真実

国立音楽大学の音楽研究所では、昨年4月から「20世紀前半アメリカ音楽研究部門」、通称「ガーシュイン・プロジェクト」が発足しました。その1年の成果として、下記のような催しを行います。

レクチャー&コンサート 《ラプソディー・イン・ブルー》の真実

名曲《ラプソディー・イン・ブルー》の初演で用いられた楽譜を編曲者グローフェの自筆スコアから再現し、初演当時の姿をよみがえらせる試みです。
慣習的に行われているカットを復元し、編成も初演者ポール・ホワイトマン楽団と同じで、サックスと他の木管、チューバとコントラバスといった楽器の持ち替えまでそのまま再現します。
初演時に一緒に演奏された曲や、グローフェがホワイトマン楽団のために書いた曲も演奏します。

2016年3月11日(金) 会場17:30 開演18:00

入場無料

国立音楽大学 講堂大ホール
(西武拝島線・多摩モノレール「玉川上水」駅下車徒歩7分) 
 事前配布のチラシなどでは会場が小ホールとなっていましたが、諸般の都合で大ホールに変更になりました。ご了承下さい。

第1部 レクチャー
《ラプソディー・イン・ブルー》の成立経緯、楽譜の状況、初演稿復元演奏の趣旨、など

第2部 コンサート
 1)エルガー 行進曲 威風堂々 第1番
 2)グローフェ スリー・シェイズ・オブ・ブルー より インディゴ
 3)コンフリー ニッケル・イン・ザ・スロット
 4)ガーシュイン ラプソディー・イン・ブルー (ジャズ・オーケストラによる初演稿)

 指揮: 工藤俊幸  国立音楽大学講師

 ピアノ:三木香代  国立音楽大学教授

 管弦楽:Kunitachi Symphonic Jazz Orchestra
Reed 1 (Bb Cl, Bass Cl., Ob., Eb Cl., A. Sax.)
            宮崎真一  フリー奏者、楽器史研究者
Reed 2 (A. Sax., Sop. Sax., Bar. Sax.)
            池田 篤  国立音楽大学准教授
Reed 3 (T. Sax., Sop. Sax.)
             中村有里  音楽研究所員
Trumpet       山本英助  国立音楽大学教授
            奥村 晶  国立音楽大学講師
Horn         中島大之  国立音楽大学教授
            高橋臣宜  東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者
Trombone       中川英二郎 国立音楽大学講師
             野々下興一 東京都交響楽団
Tuba & Contrabass 松永 敦  フリー奏者
             加藤 人  フリー奏者
Orchestra Piano  永井英里香 音楽研究所員
Piano(第1部)   陣内みゆき 音楽研究所員
Celesta        池原 舞  音楽研究所員
Percussion     目黒一則  国立音楽大学講師
Timpani       高橋典子  アドヴァンスト・コース
Banjo         青木 研  フリー奏者
1stViolin       青木高志  国立音楽大学准教授
            栃本三津子 東京フィルハーモニー交響楽団フォアシュピーラー
            熊谷真紀  TheOrchestraJapan
            堀江真理子 フリー奏者
2ndViolin       遠藤香奈子 東京都交響楽団首席奏者
            岩澤幸子  フリー奏者
            久保 静  TheOrchestraJapan
            藁科杏梨  大学院修士課程2年

企画・制作:国立音楽大学音楽研究所ガーシュイン・プロジェクト kcm.kenkyujo@gmail.com

お問い合わせ:国立音楽大学演奏課 042-535-9535

国立大学音楽研究所スタッフ
  ・企画
    吉成順
  ・研究、楽譜校訂
    池原舞、谷口昭弘、松岡由起
  ・演奏会運営
    栗山和樹、永井英里香
  ・編曲
    蒋斯汀、吉成順
  ・楽譜作成
    蒋斯汀、陣内みゆき、鈴木麻菜美、永井英里香、中村有里、八木澤桂介

『クラシックとポピュラー』の後日談

下↓でご紹介した『〈クラシック〉と〈ポピュラー〉』の内容の要は「1860年代にポピュラー音楽とクラシック音楽という2大カテゴリーが成立した」というもので、一部を除いて基本的にその頃までのことしか触れていません。

しかしクラシックとポピュラーは、その後、とくに1920年代以降に大きな状況の変化を迎えることになります。そのあたりについて、現在出ている『アルテス電子版』の4月号に、短いエッセイを書かせていただいています。

タイトルは「増殖する『クラシック』──クラシックとポピュラーのその後」というものです。

アルテス電子版は以下のリンク先から購入することができます。
もし本に関心を持って下さった方がいらっしゃいましたら、あわせてお読みいただきたい内容です。本来なら本のうしろに付け加えておくべきだった、と後から後悔しています。
万が一再版の機会でもあれば、追加してもらいないな、と思っているのですが……。

〈クラシック〉と〈ポピュラー〉──公開演奏会と近代音楽文化の成立

アルテスパブリッシングから新しい本が出ました。
〈クラシック〉と〈ポピュラー〉──公開演奏会と近代音楽文化の成立
というものです。

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19世紀を中心に公開演奏会の成長過程を眺めながら、その傍らで「ポピュラー音楽」「クラシック音楽」というカテゴリーが形成されていくプロセスを明らかにしています。

出版社の紹介ページです。

http://www.artespublishing.com/books/903951-86-7.html

12月4日(水)船橋でセミナーがあります

12月4日に船橋市の伊藤楽器YAMAHAピアノシティ船橋でエディションについてのセミナーを行います。 
ご都合のつく方はいらしてみて下さい。

吉成 順 エディションセミナー「知って得するエディション講座」
日時 2013年12月4日(水) 10:30~12:30
会場 伊藤楽器 YAMAHAピアノシティ船橋内メンバーズルーム
受講料
【前売】 
 一般 3,000円
 PTNA会員 2,500円
 PTNA船橋支部会員&伊藤楽器P.T.C.会員 2,000円
【当日】
 一律 3,500円
お問合せ
 伊藤楽器 YAMAHAピアノシティ船橋(ルナパーク船橋2F)
 TEL 047-431-0111 FAX 047-432-7818

エディションの本が出てから約一年、それをきっかけに色々な場所でお話させていただく機会がありました。ピアノの先生方中心で、特にエリーゼの話に皆さん関心が高いようです。先日は水戸でやらしていただき、そこでは本に書かなかったブルクミュラー「25の練習曲」についてもお話ししました。今度もそれを含めてやる予定です。
詳しくは下記をご覧下さい。
 http://www.itogakki.co.jp/event/2013/1204_yoshinari.html

文楽の多彩さ

しばらく前から時々国立劇場で文楽を見るのですが、先日見た『妹背山婦女庭訓』の道行きの場面は、文楽初心者には新鮮な驚きでした。

多くの場合、音楽は語りと三味線の二人で行われるのですが、このときはそれぞれ5人くらいずつもいて、しかも三味線の手が長唄なみに派手。そしてその音楽に合わせて、場面の後半では3体の人形が踊るのです。これはまるでブロードウェイ・ミュージカルのダンスシーン。江戸時代の派手好み、モダンさを思い知らされてとても愉快、呆気にとられて見惚れておりました。

ストーリー自体はその後が主体で、三味線も語りもいつも通りの二人ずつ、しかも見事な出来栄えでしたが、最初の道行きはまさにカルチャーショックでした。

誤植m(_ _)m

『知って得するエディション講座』に、以下の誤植がみつかっています。
出版前に何度もチェックしたのですが、あるものですね。
重版の際には修正する予定ですが(重版されれば、ですが)、既にお持ちの方にはお手数でも修正をお願いします。

==正誤表==
●目次:一番下の行 ヘレン版⇒ ヘンレ版
●P.28:6行目 譜例1-27と1-28 ⇒ 譜例1-26と1-27
●P.38:新段落1行目 次ページの譜例2-10 ⇒ 次ページの はトルツメ
●P.53:下から4行目 右手4拍目の ⇒ 右手2拍目裏の
●P.70:一番下のキャプションが間違っています。
 『新訂版モーツァルトピアノ・ソナタ集1』(ウィーン原典版、音楽之友社)
   ⇒ウィーン原典版+ファクシミリ1シューベルト即興曲変イ長調D935(作品142)の2(音楽之友社)
====
ご迷惑をおかけして申し訳けございませんm(_ _)m。

知って得するエディション講座

本が出ました。

吉成順:知って得するエディション講座(音楽之友社)
_
『ムジカノーヴァ』誌に3年間連載したものです。
楽譜(出版譜、エディション)の問題をいろんな作曲家の作品を例に考えています。
掲載誌の関係上ピアノ曲ばかりですが、話の内容はピアノ以外にも通じるものだと思います。
また、楽譜の表面的な問題だけでなく、演奏習慣や解釈、作品伝承の問題など、振り返ってみると案外幅広い話題にも触れています。
音楽之友社のページからは、一部ですが「立ち読み」もできます。
本の内容についてご意見などありましたらメールいただければ有難いです。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲のビデオ

1年以上更新が途絶えてしまいました。申し訳ございません。m(_ _)m

さて、ニューヨークのクラシック系FM放送局にWXQRというのがあります。
特に系列のQ2という局(チャンネル?)が気に入っているのですが、それはいずれ改めてご紹介させていただくことにしましょう。

実は今月(もうそろそろお終いですが)このWXQRがベートーヴェン特集をしていて、週替りでジャンルごとの特集をしているようなのですが、その一環として行われた弦楽四重奏の全曲演奏がビデオアーカイヴとして公開されています。

Beethoven String Quartet Marathon: The Complete Video Archive
http://www.wqxr.org/#!/articles/beethoven-awareness-month/2012/nov/18/beethoven-string-quartet-marathon-complete-video-archive/

演奏は若手のグループが中心ですが、いずれもなかなか生きの良い演奏ぶりです。

弦楽四重奏を全曲まとめて動画で見る機会というのはなかなかないので、ありがたいと思います。ラジオ局がビデオを撮って公開してくれるというのも嬉しいですね。気がかりなのはいつまで公開が続いてくれるか。11月のBeethoven Awareness Monthが終わったら消えてしまう、ということがないように祈ります。

サンチャゴの写本が盗難

世界遺産にも指定されているスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステラに伝えられた12世紀の写本Codex Calixtinusが盗まれたそうだ。カリクスティヌス写本といえば巡礼の経路を詳しく説明した世界最初の旅行ガイドであり、音楽の世界では初期の多声オルガヌム、いわゆるメリスマ・オルガヌムがいくつも記されていることで良く知られている。この写本の曲だけを集めたCDも出ているほどだ。

盗まれたのは今月5日のことらしい。厳重に保存されていたはずの貴重な写本が、気が付いたらなかった、というのだから、世紀の大事件だ。ヨーロッパ各国では7日か8日にニュースとして報じられている。だが不思議なことに、日本ではまったく、新聞の隅っこでさえ話題に上らない。そんなもんでしょうかね。サンチャゴ巡礼にまつわる本や写真集なんかも結構売れてそうなんですけどね。

ちなみにこの写本の音楽はナクソスでも聴けます。

http://ml.naxos.jp/album/sdg701

↑これはガーディナーとモンテヴェルディ合唱団の演奏。もっと新しい、ルネサンス期の音楽も混じってますが。

ライプツィヒのマーラー祭とその映像

今、マーラー没後100年を記念した「国際マーラー音楽祭」がライプツィヒで行われている。ドイツを中心に英米墺蘭からも優れたオーケストラと今を時めく指揮者たちが集まって、マーラーの全交響曲を含む主要作品を演奏するという催しだが、ありがたいことにその全演奏会のヴィデオを中部ドイツ放送(MDR)のサイト(↓)で見ることができる。
 http://www.mdr.de/mahler
音楽祭のスケジュールは次の通り。

5/17,5/18 交響曲第2番
 シャイー指揮ゲヴァントハウス管
5/19 交響曲第3番
 サロネン指揮ドレスデン・シュターツカペレ
5/20 交響曲第10番(クック完成版)
 メルクル指揮MDR(中部ドイツ放送)響
5/21 交響曲第7番
 ネゼ=セガン指揮バイエルン放響
5/22《葬送》、《大地の歌》
 ルイージ指揮コンセルトヘボウ管、アンナ・ラーションAlt、ロバート・ディーン・スミスT
5/22 交響曲第10番よりアダージョ、交響曲第1番
 ゲルギエフ指揮ロンドン響
5/23《亡き子をしのぶ歌》、交響曲第5番
 ギルバート指揮ニューヨーク・フィル、トーマス・ハンプソンBr
5/24 交響曲第6番
 ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管
5/25《花の章》、《少年の魔法の角笛》、交響曲第4番
 ハーディング指揮マーラー室内管、モイカ・エルトマンSp
5/26、5/27 交響曲第8番
 シャイー指揮ゲヴァントハウス管ほか
5/28 交響曲第9番
 ガッティ指揮ウィーン・フィル
5/29 交響曲第8番
 シャイー指揮ゲヴァントハウス管ほか

今一番脂ののってそうな指揮者たちを揃えた、よい顔ぶれだと思う。
演奏はこれまでのところいずれも熱演ぞろいで、はずれがない。
個人的にはクック完成版の10番、《葬送》、《花の章》といったところが映像付きで体験できるのがとてもありがたい。
それにしても、《千人の交響曲》を中1日おいて3日立て続けに演奏する、てのもなかなかすごいね。

ブージーとシャーマーの楽譜ネット公開

イギリスの楽譜出版大手ブージー・アンド・ホークスBoosey & Hawkesが、20世紀以降の作品のスコアをネットで「閲覧用にperusal」公開しはじめた。入口はこちら↓

http://www.boosey.com/cr/perusals/

作品数は466点、作曲家を数えたら70人。

聞き覚えのある名前をAから拾っていくと、
ジョン・アダムス、ルイス・アンドリーセン、バルトーク、バーンスタイン、バートウィッスル、ブリテン、カーター、コープランド、ドアティ、デル・トレディチ、ディーリアス、ドラックマン、フィンジ、ヒナステラ、ゴリホフ、リンドベルイ、マクミラン、マルサリス、マックスウェル=デイヴィス、メレディス・モンク、ムソルグスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフ、ラウタヴァーラ、ライヒ、ロレム、ラウズ、ストラヴィンスキー、トムソン、タネジ、クセナキス。
そうそうたる顔ぶれだ。

「現代もの」のはずなのにムソルグスキーは何故、と思ってクリックすると、《展覧会の絵》がラヴェル編とアシュケナージ編のオーケストラ編曲で出てきた。なるほど。ラヴェル版はともかく、アシュケナージ版というのは面白い。ネット上で閲覧するだけだから使い勝手が良いとは言えないが、タブレット端末などを使えば案外「鑑賞のお供」としてポケットスコア代わりに使えるかも。

実はすでにアメリカの大手シャーマーSchirmerもスコアのネット公開を行っている↓

http://digital.schirmer.com/

こちらもほとんどは20世紀以降の作品で、バッハやモーツァルトの名前も見えるが、編曲が新しいということのようだ。オーケストラ作品はスコアの全部、小編成の作品は数ページの抜粋を見ることができる。

作曲家数を数えると85人。個人的にはアンタイルのジャズ・シンフォニー、コリリャーノの交響曲、それに音大の図書館にもないウィリアム・シューマンの交響曲3番などがみられるのが嬉しい。

――などと書いておいてなんだが、実はシャーマーのサイトは今の私の環境ではちゃんとスコアを表示してくれない。前に何度か訪れた時にはちゃんと見られたのだが、今は妙に文字化けしたテキストのようなものがだらだらと表示されるだけ。pdcというファイル形式を使ってるようで、ブラウザがきちんと反応していないのかもしれない。

ともあれ、シャーマーとブージーという現代ものの2大出版社がスコアの公開を始めたというのは、新モーツァルト全集のネット公開に匹敵する快挙ではないかと思う。次はショットか?

世紀末ウィーンのヒットチャート(補足):リスト

前項(↓)につづいて、フォル・ジュルネでの講演の補足です。
今回の音楽祭全体のテーマは「タイタンたち」。ポスターにはブラームス、リスト、シェーンベルク、マーラー、リヒャルト・シュトラウスという5人の作曲家が描かれています。

講演では、ウィーン・フィルでとりわけ演奏頻度の高かった3人、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスについて具体的な曲目を確認し、一方でマーラーとR.シュトラウスについては指揮者としての演奏傾向などをご紹介しました。また、「タイタン」のうちベスト20に名前が出てこなかったシェーンベルクについて、その事情を考えてみました。

こうして話を進めた結果、演奏頻度で9位につけていたリストについては、ほとんど具体的な曲目に触れることがないまま終わってしまい、「リストはどうした」というご質問をいただくことになりました。内容を構成していくうえで配慮が足りなかったと反省しております。

1880年~1919年にウィーン・フィルが取り上げたリスト作品の上位は次の通りです。

1 交響詩《マゼッパ》 8
2 交響詩《前奏曲》 7
3 メフィスト・ワルツ 5
4 ピアノ協奏曲第1番 4
5 ファウスト交響曲 3
5 詩編18編 3

交響詩2曲が上位を占めているのは、この時代まだ「新ドイツ派の盟主リスト」というイメージが強かったということかもしれません。《前奏曲》は、今でもかろうじて標準的なレパートリーに残っていますが、《マゼッパ》はほとんど演奏されなくなりました。なぜそうなったのか、興味深いところです。

ちなみに私自身はリストの交響詩では《タッソー》が好きなのですが、残念ながらこの時期のウィーン・フィルでは2回しか演奏されていませんでした(; ;)。

世紀末ウィーンのヒットチャート(補足:ベートーヴェン)

今年もラ・フォル・ジュルネ音楽祭でお話をさせていただきました。その際、せっかくご質問いただきながら手元に資料データがなかったこともあって適切にお答えできなかった点がありましたので、この場を借りて補足させていただきます。

講演のタイトルは「世紀末ウィーンのヒットチャート」。具体的には、1880年から1919まで40年間のウィーン・フィルでどんな曲が演奏されたか、その回数を調べる、というものです。

作曲家の演奏回数ダントツ1位はベートーヴェンで40年間に306回。会場ではその上位の曲目を一覧でご覧いただきました。

1 交響曲第5番(運命) 24
2 交響曲第3番《英雄》 22
3 交響曲第7番 21
3 交響曲第9番 21
5 交響曲第8番 19
6 交響曲第4番 14
6 交響曲第6番 14
6 ヴァイオリン協奏曲 14
9 交響曲第1番 13
10 交響曲第2番 12
10 序曲《レオノーレ》第3番 12

これについていただいたご質問は、「ピアノ協奏曲」が出てこないが、何か事情があるのか、というものでした。これに関しては、特別な理由があるとは考えておりません。
その場では上記ベスト10(11曲)以外の曲をご紹介できませんでしたが、そのリストの下は次のようになっています。

12 序曲《レオノーレ》第2番 9
12 《エグモント》序曲 9
14 《プロメテウスの創造物》 8
14 《コリオラン》序曲 8
14 序曲《献堂式》 8
17 序曲《レオノーレ》第1番 6
17 《シュテファン王》序曲 6
17 《エグモント》付随音楽 6
20 ピアノ協奏曲第5番 5
20 ピアノ協奏曲第3番 5
22 《フィデリオ》序曲 4
22 序曲《命名祝日》 4
22 ピアノ協奏曲第4番 4

20位にピアノ協奏曲の5番(皇帝)と3番が同率で並び、その下に4番がつけています。
この3曲を合わせると計14回で、ヴァイオリン協奏曲と同数になります。
このデータから、私はベートーヴェンのピアノ協奏曲そのものの人気(需要)が少なかったわけではなく、同じくらい人気のある3曲でその需要が分散されたのだろう、と見ています。

Over the rainbow - What a wonderful world / Israel Kamakawiwoʻole

こんな時こそ、その2。
これは絶品です。
「虹の彼方に」が「この素晴らしき世界」にすっと変わっていく。
着想の見事さに脱帽です。
それに、全体を貫く暖かさ。ありがとう、IZ!

YouTubeにあるOfficialビデオは2曲別々になっていて着想の素晴らしさが伝わりにくいので、あえてこれ↑にしました。歌詞もわかりやすいしね。

せっかくだからOfficialの方も貼っておきましょう。

・虹の彼方に

・この素晴らしき世界

あったかいです。

What a wonderful world / Louis Armstrong

こんな時こそ。
ちなみにこの曲の最初のフレーズって、考えてみたら「きらきら星」ですよね。
よくできてるなあ。

震災復興と音楽の力

ブログの更新が滞っているうちに、日本はえらいことになった。
東日本大震災。
まだその余波は続いている。

震災といえば、添田唖蝉坊の『復興節』を思い出す。
大正12年、関東大震災の焼け跡から生まれた、いわゆる壮士演歌の一つである。
息子の添田知道(さつき)が書き残した誕生にまつわるエピソードは心を打つ。

拙速の唄本が刷れて、私も糊口のこともあるので、近くへ演歌に出てみたときのことだ。日暮里の焼亡をのがれた地区とはいえ、夜は暗く死んだように沈みかえっている。そんな中で歌声をあげたりしたら、袋だたきにでもあうのではないか、そんな不安があった。とある横丁でうたいはじめると、忽ち、暗い家々からとび出してきた人々にかこまれた。しかしそれは、不安とは逆な、熱心に聞き入る人々であった。勢い歌う方にも身が入る。大歓迎で、持って出た百部の唄本がすぐに売切れて、妙な拍子抜けをした。
そして、どんな深沈の中でも、人々は音をもとめている、ということを知った。音。それは生命の律動。律動のない生命はない。律動の感応が、生命をおどらせる、ということだ。その音の質なり現れ方への考察はまた別の話として、根源的なところでこれを知った。人々は食の飢えもあるが、音にも飢えていたのだ。
                  (添田知道(さつき)『演歌の明治大正史』より)

どんな時でも人は音楽を求めている。こんな時だからこそ、音楽の律動が生命をおどらせる。音楽文化の末端にかかわるものとして、思い出すたびに心強くなるエピソードである。

『復興節』の詞はこんな風だ。

家は焼けても 江戸っ子の
意気は消えない見ておくれ アラマ オヤマ
忽ち並んだ バラックに
夜は寝ながらお月さま眺めて エーゾエーゾ
帝都復興 エーゾエーゾ

嬶が亭主に言うやうは
お前さんしっかりしておくれ アラマ オヤマ
今川焼さへ復興焼と
改名してるぢゃないかお前さんもしっかりして エーゾエーゾ
亭主復興 エーゾエーゾ

困難の時にもユーモアを忘れない。したたかな強さに満ちている。

時は流れて平成7年、阪神大震災。ロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」の人たちが日頃のエレキ楽器ではなくアコースティックな楽器を携えてチンドン隊を作り、「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」として被災地でコンサートを行った。その時にも『復興節』が歌われた。そちらの歌詞は、引用すると何かとさしさわりがあるかもしれないので、Youtubeの映像を貼っておく(これはさしさわりないのか?)。

さて今回の大地震、町に『復興節』が響くのはいつだろうか。

ゲヴァントハウス演奏会の動画

面白いことに、国際宅配便DHLのサイトでゲヴァントハウス演奏会の動画を見ることができる。

http://www.dhl-brandworld.com/en/extras/gewandhaus-live-concert.html

なんでもDHLがゲヴァントハウスの運送を専属で請け負い、スポンサーになっている関係だとか。

演奏会は2月18日にライプツィヒのゲヴァントハウスで行われたもので、
シャイーの指揮によるオール・ドヴォルザーク・プロ。

序曲「謝肉祭」
ヴァイオリン協奏曲(Vn:カヴァコス)
交響曲第7番

指揮者・独奏者も含めて3月来日時のプロと全く同じですね。

この動画配信が今回だけの特例なのか、今後も続くのかはわからないが、できればベルリン・フィルのようにアーカイヴ化して何度も見られるようにしてもらいたいものです。

【補足】
ありがたいことに、どうやら1回きりではなかったようです。
今上記のリンクをたどると、4月15日の演奏会、ビシュコフの指揮でベリオのレンダリング(シューベルト原曲)とブラームスの交響曲2番が観られます。アーカイヴになっていないようなのは残念ですが、ネット配信が継続されること自体は嬉しいことです。(5月14日)

フランス国立ジャズオーケストラ

フランス国立ジャズオーケストラの25周年記念演奏会というのをarte LIVE WEBで観ることができる。
http://liveweb.arte.tv/de/video/L_Orchestre_National_de_Jazz_feiert_sein_25jahriges_Jubilaum/

恥ずかしながら、フランスに国立のジャズオーケストラがあるというのをこれまで知らなかった。結成以来四半世紀も経ているうえに、1991年には来日もしているらしい。なんとまあ。

演奏はまあまあ。悪くはないが、飛びぬけて良い演奏とか、特別選り抜きのメンバーを集めたという風にも見えない。国立の看板をしょっているからと言って、とりわけゲイジュツ的な路線を目指しているというようでもない。

それにしても、こういうバンドがあるというということは、フランスではジャズというジャンルが国の予算をつぎ込んで保護されるべき文化財とみなされている、ということなのだろう。アメリカならともかく、フランスというところが興味深い。

ジャズってとっくに「保護すべき古典芸能」になっていたんですね。
日本はどうなんだろ。

モーガン・ライブラリーの手稿譜コレクション

作曲家の自筆譜コレクションとしては世界でも有数の規模を誇るニューヨークのモーガン・ライブラリーThe Morgan Library & Museumが、所蔵する手稿譜のオンライン公開を行うようになった。

Music Manuscripts Onlineのトップはこちら
http://www.themorgan.org/music/default.asp

現在参照可能な資料の一覧はこちら
http://www.themorgan.org/music/manuscriptList.asp

出てくる作曲家は
JSバッハ、バルフ、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、ドビュッシー、フォーレ、グリーグ、ハーバート、リスト、マーラー、メンデルスゾーン、モーツァルト、フィリップス、ラヴェル、ロッシーニ、サン=サーンス、シューベルト、シューマン、サリヴァン、ウェーバー。

作品で目につくところを拾うと、
ベートーヴェンの《皇帝》、ブラームスの交響曲第1番、ショパンの《英雄ポロネーズ》、マーラーの交響曲第5番、モーツァルトのピアノ協奏曲《戴冠式》、シューベルトの《冬の旅》に《魔王》、シューマンのピアノソナタ2番に《女の愛と生涯》、などなど。

これだけでもすごいものだが、作曲家一覧にはもっとたくさんの作曲家が挙げられているから、今後もっともっと増えていくことが期待される。

閲覧のインターフェースが使いにくいのが難点だが、時々覗いてみる価値はあるだろう。

ケクラン「BACHの名による音楽の捧げもの」の映像

オランダの放送局のサイトにケクランCharles Koechlin (1867-1950)の「BACHの名による音楽の捧げもの」の映像がある。オランダ放送フィル、指揮は Ed Spanjaard。2009年2月、アムステルダム・コンセルトヘボウでの演奏。

http://player.omroep.nl/?aflid=8880982

3本のサックスにピアノ、オンド・マルトノ、オルガンまで含む大オーケストラを駆使し、優れた理論家として知られるその作曲技法の粋を尽くした1940年代の力作。ケクランといえば「ジャングルブック」の連作や美しい「星空の方へ」などが知られているが、ああいった作品ではどうしても意識が標題に引っ張られがち。だがこの曲では、もっと純粋にケクランの音の世界に浸ることができる。これまでもCDやナクソスの配信で音は聞けたが、やはり映像を伴うと「何が起こっているのか」がよくわかってありがたい。

フランス近代音楽の系譜をたどるとき、ドビュッシー、ラヴェルの次にはいわゆる6人組あたりを挟んでメシアン、デュティユーへとつなぐ理解が一般的だろう。だが、6人組のかわりにこの曲に聴けるような「晩年のケクラン」をはめ込んでみると、今日の「スペクトル楽派」あたりまで続く「ソノリテの音楽」としてのフランス音楽の流れがうまくつながって見えてくるように思う。

ゴリホフ「マルコ受難曲」のビデオ

オズバルド・ゴリホフ(ゴリジョフ)「マルコ受難曲」の動画をオランダの放送局のサイトで見つけた(無料)。
http://player.omroep.nl/?aflID=7488133

2008年の「オランダ・フェスティヴァル」で収録されたもの。指揮はロバート・スパーノ。

曲は紀元2000年を記念してヘルムート・リリンクとシュトゥットガルト・バッハ・アカデミーが4人の作曲家たちに委嘱した受難曲のひとつ(他の3人はタン・ドゥン、グバイドゥリーナ、リーム)。前にCDで聴いて、南米出身の東欧系ユダヤ人ゴリホフらしいサウンド、とくに民衆(合唱)部分でのバリバリのラテン音楽ぶりに興味を惹かれていたのだが、ビデオだとミュージシャンたちの顔やずらりと並んだラテン・パーカッションを見るだけで場面設定そのものを南米に移しているということがよく分かるし、シアターピース的な要素が強いこの作品の本来の姿が楽しめる。

演奏は多少粗さが見られるが、ドキュメントとしてはとても貴重。

今調べてみたら、このビデオ、実は今年グラモフォンから出たCDのオマケにDVDとして付いてるらしい(CDの演奏者は別)。日本盤はまだ出てないようだが、ぜひ日本語字幕付きで出してもらいたい。

ストリーミング

前にストリーミングに関わるソフトを紹介した際、具体的にこんなサイトに適用できた、という例を紹介したら、ほとんど即時に複数のサイトから「規約違反」との反応があった。1つのサイトはメールによる警告で、当該の文言を削除するだけで済んだが、もう1つのサイトは即刻アカウント停止。一方的な通告のみで、メールを出しても反応はなく、残っていた数ヶ月分の課金がパーになった。
1日に数人しか訪れないこんなブログまで監視するなんて、ご苦労さんなことだ。しかも片方はドイツのサイト。日本語の分かるスタッフがいるのか、日本の組織と提携しているのかしらないが、これもまたご苦労さん。

規約などというものは向こうが一方的に提示し、こちらは一応納得したことになっている訳だから、規約違反と言われれればこちらはどうしようもない。

しかし、テレビの録画やラジオやCDの録音が個人の権利として認められているのに、ネット・ストリーミングについては認められないというのは、やはり変だと思う。実際にネット上の動画ストリーミングを体験すればわかることだが、ブロードバンドといえども通信速度が追いつかずに動画がブツ切れになることはしょっちゅうだ。映画や演劇ならまだ我慢しやすいが、音楽の場合は致命的と言ってよい。いったんデータをローカルに保存し、快適なコンディションで再生するのは、ユーザーの権利として保証されるべきだと思う。お金払ってるんだしさ。契約者には配信側が十分な通信環境を保証してくれる、とでもいうのなら別だろうけど。

良い内容だからこそ、それなりの対価を払っているのだし、払った限りはなるべく良い条件で、なるべく便利に使いたい。ユーザーとしては当然の思いではないか。

そもそも19世紀以前の文化を前提とした「著作権」の考え方を、むりやりディジタル文化に適応しようとしても、所詮無理があるのだ。根本的に発想を変えないと、せっかくの新しいメディアの利点をどんどん矯めてしまうことになる。

音楽にしてもネットにしても、本来はみんなのもの、すべての人に開かれた共有財なんだけどなあ。それを私物化したり、囲い込んで金儲けの道具にしたり、という発想がいつか時代の波の中で廃れていくことを願っている。もう無理かもしれないけど。

ところで、今回はいっさい固有名詞を出してない。果てさてこれでも文句言ってくるところはあったりするのでしょうか?

歌舞伎十八番はみんなのもの

歌舞伎十八番というのは、7代目市川團十郎が選定した、市川宗家のお家芸だそうだ。もちろんある家のお家芸だからといって他の家の役者が演じてはいけないというものではなく、「勧進帳」などはさまざまな役者で見ることができる。だがその一方で「暫」のように、ずいぶん長い間市川宗家以外の役者が演じていないものもあるという。やはり遠慮のようなものがあるのだろうか。

だが、「歌舞伎十八番」の選定は1830年代。当然著作権などというものの及ぶはずもなく、完全なパブリックドメインである。何の遠慮があるものか。

この際、お家芸などというレッテルにとらわれず、誰でも遠慮無く上演できるようにすべきだろう。上演されなくなった演目の復興なども、市川家だけに委ねるのではなく、むしろ国立劇場のような第三者的立場の組織が企画して、いろんな才能に委ねればよい。

「暫」や「助六」は見たいけど、あの役者だけは避けたい、とか、ぜひこっちの役者で見たい、というようなことは当然あるだろう。歌舞伎は国家の共有財。誰もが自由に演じ、自由な選択のもとで鑑賞できて当然だ。

かつて上方で様々な楽家によって個々に伝承されていた雅楽の曲目が、天皇が東京に移るという文化の変動をきっかけに統一され、家の枠を超えた伝承システムが作られた。同じようなことが歌舞伎についても行われてよいのではないか。歌舞伎はみんなのものなのだから。

ベリオのシンフォニア

東響と東混でベリオのシンフォニアを聴いた。指揮は大友直人。プログラム後半の「英雄の生涯」も含めて、熱演、力演、感銘深かった。
シンフォニアの目玉というべき第3楽章では、やや響きがダンゴ状態で下敷きのマーラーが埋もれがちになり、音楽の見通しがちょっと悪くなってしまったが、その後に続いた終楽章は緊張度の高い充実した演奏だった。

讃えるべきは、まず、東混の八重唱の面々。声楽アンサンブル協奏曲といってもよい難曲の難パートを、すっかり自家薬籠中のものとしてこなしている感じ。PAのバランスがちょっと気になるところもあったのだが、見事でした。

東響にも喝采。前からうまいオーケストラだと思っていたけれど、改めて再認識しました。

それにしても、コンマスの大谷康子さんはすごい。ベリオでもシュトラウスでも、それこそ協奏曲なみのソロパートで燃えるようなヴィルトゥオジティを発揮し、ストレートな大友の音楽に生命の輝きを添えてくれる。残念なのはベリオのときヴァイオリン・ソロにもPAが効いていて、私の席が下手の端という要因も大きいのだろうが、視覚的に左側で演奏している音が右のスピーカーから(も)聞こえてくるのがどうにも違和感を拭えなかったこと。ミキシングでもうちょっと配慮できたはずだと思うのだが。それを除けば、今日の演奏会の音楽的満足は相当程度彼女のヴァイオリンに負っていたように思う。財産ですね。

楽同会のご案内

国立音楽大学で音楽学を学んだ人(楽理学科、音楽学学科、音楽文化デザイン学科音楽学専修、音楽学研究コース、大学院音楽学専攻)の同窓会である楽同会の集まりが、12月23日にアルカディア市ヶ谷で開かれます。

2008年3月に御退職された小林緑先生にお話し頂くほか、現役学生による津軽三味線、大学院生によるテルミンの演奏も予定しております。

会員にはご案内のはがきをお送りしましたが、名簿データが古いため宛先不明で戻ってきたものも多く、急遽このブログでも告知させていただくことにしました。ご友人とお声をかけあっていただければ有り難いです。

年末の慌ただしい時節ではありますが、同窓生の皆様の参加をお待ちしております。         

詳細は次のとおりです。

日 時:    2010年12月23日(木・祝)15:00より
場 所:    アルカディア市ヶ谷(JR市ヶ谷駅 徒歩2分)
予 定:    14:30~ 受付開始 15:00~ 開会
会 費:    6000円(※お子様同伴可。お子様は無料です。)

準備の都合がございますので、ご出席の方はなるべく事前に国立音大音楽学研究室にご連絡頂くか、当ブログ管理人(吉成:gcd00342@nifty.com)ご連絡ください。

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